伊那食品工業㈱
21/23

寒天の基礎知識寒天は海藻だけを原料につくられる、約400年の長い歴史寒天液を冷やしてところてん(心太)は現在の中国から日本に伝わり、1200年も前から食べられていた記録があります。寒天はところています。その後寒天は摂津の国(現在の大阪府摂津市)の宮田半兵衛により原料海藻の配合や製造法に改良が′=U固めて取り出します。“"「“しばります。a「再尋環―“「2カーとして昭和33年(1958年)に創業し、用途に応じた様々な寒天の開発を行うとともに需要を拡大し現在に至っフレーク寒天カール状寒天の海域を調査し、海藻の産地開拓を積極的に行ってまいりました。それにより様々な物性の寒天を作り出す海藻のに広く原料産地を確保し、安定供給できる体制を作り上げました。特にインドネシアでは、オゴノリの養殖に弊社がになっています。弊社では環境変化の激しい今日、原料海藻から最終寒天製品ま原料と産地`こ! ⇒:1雲凰日日日日〉|) てんから水分を除いた乾燥物であり、日本で発明されました。江戸時代の初期のある冬のこと、京都の旅館『美濃屋』の主人・美濃屋太郎左衛門がところてんを外に置き忘れていたところ、夜中の寒気で凍り、それが日中に溶けて水分が抜け、ところてんの千物のようになつていました。それを見て太郎左衛門は寒天の製法を編み出したと言われ加えられ、京都、大阪を中心に羊羹などの和菓子の材料として普及しました。その後、関西地方で製造されていた寒天の製造技術を信州に伝えたのは諏訪の行商人小林粂左衛門でした。き、製造方法を学んで帰り、諏訪地方で寒天の製造を始めました。戦前寒天は重要な輸出品目でしたが、その用途に細菌培地があることから寒天の輸出が禁止されました。困つた諸ています。水温や日照などの様々な環境条件や生育時期で性質が異なります。弊社では早くより日本近海のみならず世界中発見につながりました。ております。製造の現場を見た粂左衛門は寒さが厳しいものの雪の少ない信州諏訪地方の農家の副業に適しているとひらめ関西地方ではところてんを突き出して糸状の寒天として製造されていましたが、冷え込みの厳しい諏訪地方では突き出す必要もなく、角柱の状態で凍るため、生産性も向上し、以後寒天は信州の名産品となります。第2次世界大外国は自力による寒天製造を試み、天然の寒気に頼らない工業的製法による粉末寒天が誕生しました。逆にその製造方法が日本に伝わり、一時は40社を超える粉末寒天のメーカーが存在しました。弊社は最も後発の寒天メー寒天はテングサ属やオゴノリ属などの紅藻海藻が主原料です。これらの海藻は世界中のきれいな海に分布し、海現在では日本・韓国・インドネシアなどのアジア、チリ・ブラジルなどの南米、モコッヨ・スペインなどの地中海沿岸早くから関わることで世界一の海藻産地でトレースできる品質保証を常に心掛けを持つ安全で健康にいい食品素材です。寒天の原米半天草(テングサ)|ゝ,F海底に自生する天草製造工程0プレス脱水圧力をんヽナて水分を海藻を煮てエキスを出します。粉末で扱いやすいので、さま使われています。ざま利昭途火|こかけてから鍋で煮溶力すタイプと熱湯で溶けるタイプG瞬剌攣釜0カ湧ります。書ながらの寒天細寒天(糸寒天)は主に和菓子屋さんの製菓材料として、角寒天(棒寒天)は主に家庭用の寒天として製造されてきました。ともにまだ製造されていますが、固まる強度が一定ではなく露天に干して作るため、異物の問題もあり、現在は粉末寒天が主流になっています。寒天の種類粉末寒天/員「溶性寒天 フレーク寒天均質化用途によって、フレークにしたり粉末にしたりします。不純物をとりのぞいてきれいにします。粉末寒天和菓子に用いられる寒天。フ お米の粒のような大きさのレーク状の形態が和菓子を 寒天。ぞうすいやリゾットな作るのに適しています。 どに使われてます。プレス脱水を使つたり冷凍脱水を使ったりします。0ポイントし寒天の物性により、0ポイントし!抄つぶ状寒天細寒天糸状寒天糸状にした寒天で、そのままスープに入れる、あるいは水で戻してサラダの具として使います。寒天を麺状に加工した物でいわば寒天のラ=メンです。角寒天水分を外に出します。寒天の歴史寒天ができるまで0糊0抽出0ろ過0乾燥0凝固0冷凍脱水凍らせて0均質化伊那寒天⑥

元のページ  ../index.html#21

このブックを見る